朝のついで掃除

掃除は「隅々まで」の意味が少し分かってきた

光が入ると、見えていなかったものが見えてくる

考えない家事へ戻る

  • 光が入ると、見えていなかったホコリや犬の毛に気づくことがあります。
  • 掃除のために動くより、朝の動きにほうきをくっつける方が私には続きました。
  • 完璧な隅々までではなく、気づける形にすることも掃除の一歩だと思いました。

最近、部屋に日がよく差すようになりました。

部屋全体が明るくなると、気分も少し上がります。

でも同時に、意外なものまで見えてきます。

光の加減で、今まで見えていなかったホコリ。

サッシの間に入り込んだ犬の毛。

どこから来たのか分からない枯葉。

「あれ、この子、昨日も見たな?」

そう思いながら、気づけば3ヶ月くらいそこにいたりします。

掃除べたあるあるです。

見えていない時は、ないことになっています。

でも、光が当たると急に存在感を出してきます。

気づいた時にサッとできる方式へ

最近の私は、家事のやり方を少しずつ変えています。

きちんと時間を作って、全部まとめて掃除する。

そういうやり方ができればいいのですが、私にはなかなか続きません。

だから、気がついた時にサッとできる方式に変えています。

そのために、リビングにはほうきを置いています。

とはいっても、100円ショップのものです。

立派な掃除道具ではありません。

でも、気づいた時に手に取って、ささっと掃ける。

それだけで十分です。

本当は、10歩も歩かない場所にあります。

それでも、めんどくさいと感じる時があります。

「たったこれだけなのに、なぜ動けないのか」と思うこともあります。

朝シャッターを開けるついでに掃く

でも最近は、そのめんどくささを逆手に取ることにしました。

朝、シャッターを開ける時に、ついでにほうきを持つ。

そして、そのままさっと掃く。

これだけです。

掃除のためにわざわざ立ち上がるのではなく、もう動いているついでにやる。

すると、意外と続きました。

今のところ、2日間続いています。

たった2日。

でも、私にとってはそれで十分です。

家事は、こういうものだと思います。

どうせ冬になれば、今度は「寒いから早く閉めたい」と考え出すと思います。

もちろん、これは私がという意味です。

人間は、季節によって気分も動きも変わります。

だから、完璧な家事の仕組みを作ろうとしても、たぶん続きません。

その時の自分に合わせて、少しずつ変えていくくらいが現実的なのだと思います。

四角い畳は、丸く掃け

そういえば私は、こう見えて民宿でバイトをしたことがあります。

その時、先輩から掃除の仕方を教わりました。

「四角い畳は、丸く掃け」

そんなふうに言われたことがあります。

当時の私は、心の中で「それはダメだよ」と思っていました。

四角い畳を丸く掃いたら、隅が残る。

それではきちんと掃除したことにならない。

そう思っていました。

でも、気づけば今の私は、あの時教えてくれた先輩くらいの年齢になっています。

そして今になって、少し分かる気もするのです。

もちろん、本当に隅を残していいという意味ではありません。

でも、毎回完璧に隅々までやろうとすると、掃除そのものが重くなります。

「ちゃんとやらなきゃ」

「隅までやらなきゃ」

「全部きれいにしなきゃ」

そう思うほど、手が止まることもあります。

今の私にとっての隅々まで

それなら、まずは丸くでも掃く。

気づいたところだけでも掃く。

朝シャッターを開けるついでに、サッシのあたりだけでも掃く。

そうしているうちに、少しずつ隅にも目が行くようになる。

最近、「掃除は隅々まで」の意味が、少し変わってきました。

若い頃の私は、隅々まで掃除するというのは、最初から最後まできっちりやることだと思っていました。

でも今は、少し違います。

隅に気づけるようにしておくこと。

気づいた時に、すぐ手を出せるようにしておくこと。

完璧ではなくても、見えたところから少しずつ動くこと。

それも、今の私にとっての「隅々まで」なのかもしれません。

掃除が得意な人から見たら、甘い話かもしれません。

でも、私は掃除が得意ではありません。

だからこそ、気づいた時にできる形にする。

道具を近くに置く。

朝の動きにくっつける。

2日続いたら、それでよしとする。

そのくらいでいいと思っています。

これも、私にとっての考えない家事です。